最終更新日: 2006-04-13(公開日: 2006-04-13)

イアニス・クセナキスとの対談

Michael Zaplitny and Iannis Xenakis (久保マサキ 訳)
原題: Conversation with Iannis Xenakis
出典: Perspectives of New Music, Vol. 14, No. 1 (1975), p.86-103.

序論

イアニス・クセナキスの著書 Formalized Music: Thought and Mathematics in Composition は、クセナキスの独創的な、音楽理論や方法 論、音楽・哲学・建築・その他の芸術のあいだに横たわる関係にかんする彼の 考え、これらを理解するうえで、現在手にはいる最も優れたの原典でしょう。 しかし、彼の理論を十分理解するためには高度な専門の数学的理解が必要だし、 それゆえ必然的に、彼の読者は限られていました。したがって、この概論では、 クセナキスの理論に興味のある学生諸氏のためのガイドになるよう、専門的な 説明をできるだけけさけて、本の肝心なところを説明をすることを目指してい ます。この序論に続くクセナキスとのインタビューでは、彼の作品のいくつか 重要な点について、より深く掘りさげて検討します。

Formalized Music 第1章で、クセナキスは、1958年のブリュッセル万国 博覧会に展示したフィリップス・パビリオンのデザインの基礎を、作品”メタ スタシス”が、いかに形成したかについて述べ、微積分と確率論を音楽へ応用 することについて詳細に議論してます。微積分や確率論を音楽に応用すると、 めったに起こらない、ランダムな事象が生じるため、彼はこの作品を、”フ リー・ストカスティック・ミュージック”と呼んでいます。もっと具体的には、 ベルヌーイの大数の法則(コインを投げる回数が多いほど、その表/裏の比率が 1に近づく)を一般化することでポワソン過程を定義し、離散的な時間間隔で離 散的事象の確率を発生させています。指数公式(ガウス分布の親関数)を適用 することにより、連続区間における連続的な離散事象間の時間あるいは区間を 求めることが出来るのです。ここでいうある「事象」とは、特定の密度を持っ た音の雲などのことです。

 つぎにクセナキスは、ある音が、いくつかの「スクリーン」(周波数と強度 により決まるグリッド)によって定まる、その方法を明らかにします。つまり、 ある音が任意の瞬間(t)で切り取られたとき、各スクリーンは生成される。各 スクリーンは次のような記号で表示される:(音の)遷移は、あるスクリーンか ら次のスクリーンへ移動 (transition) することで生じる。遷移の集まりが変 換(transformation) を形成する。その変換は、表または行列で表現される。結 局、代わりとなる変換確率 (0〜1の小数で表される) が、もとの変換確率(0か 1で表される)に取って代わることで、確率論的なメカニズムが導かれるのです。 この一連の遷移もしくはスクリーンの並びのことを、マルコフ連鎖と呼びます。

 推移確率行列(MTP)ー あるいは確率行列が、純粋に数学的な意味で、状態 変化を支配します。それは、周波数や強度といった他の行列と組にもなりえま す。くわえて、MTPをつかうことで、安定した状態を計算したり、平均エントロ ピーを定めることができるし、コンピュータを使いスクリーンの集合を用いて、 ataxyの度合い(秩序か無秩序か)を確認することもできます。確率論的メカニ ズムを応用する際、クセナキスは、次の3つの音の性質について遷移確率行列を 用います。その3つとは、周波数(f)、強度(g)、密度(d)です。そうする ことで、作曲が一つの状態にとどまる確率を下げ、状態が変移する確率を高め、 作曲におけるより高次の遷移と多様性を可能にするのです。スクリーンのこれ ら3つの変数は、組み合わされあるいは相互に作用しながら、スクリーンの部分 的構造のスキームあるいはシーケンスとして、新たなMTPを形成します。そのシ ステムは、最終的な平衡状態として知られている定常分布に達するか、摂動 (perturbation, P) のせいで不安定になります。

 クセナキスが Duel と Strategie の二つの作品で応用した数学理論は、2人 ゼロサムゲームとよばれるものです。これは、一方の利益が他方の損失と等し く、全てのプレーヤーに対する支払い (勝つとプラス、負けるとマイナス) は ゼロになるというものです。各ゲームは、定性的マトリックスと線形プログラ ミング ー 不定値を決定することによって線形表現を最大化もしくは最小化し、 線形的な不均衡や制約の影響を受けやすいこの方法 ー と、指揮者のための厳 密なルール、の使用をつうじて発展します。ゲーム自体は音楽上なんら目新し いものではないけれど、現代科学に基づくゲームの概念化によって”ゲーム感 覚”の転向は可能になるのです。

 コンンピュータがそのインタラクティブな機能ゆえ作曲の有効な楽器となる、 ということに気がついたクセナキスは、一連の逐次演算のうえにフローチャー トをセットアップし、作曲するうえでの最小限の制約というスキームに従いま す。その一例として、ST プログラム(Fortran IVで書かれた)があります。 ST プログラムの最初の3ステップが決定するのは、シーケンスの長さ、密度(一秒あたり の音数)、確率論的に決められたオーケストラの構成、例えば各音高に対す る音色クラスと楽器(密度によって条件づけられる)です。

シーケンスの先行した一般的特徴が与えられるとで、コンピュータは各ピッチ について次の一連のステップに従うようにプログラムされます。計算の結果、 各ピッチは固有の回数だけシーケンスに存在します。ステップ4から6 では、音 のアタックタイム、そのシーケンスで利用できる範囲から選ばれた特定の楽器、 そしてピッチが規定されます。ステップ7から9では、ある音がグリッサンドす るかどうかとそのスピード、持続時間、強度が決定されます。ステップ10 では、 ステップ4に戻り(例えば2つ目のピッチのアタックタイム)、そのシーケンス のピッチの総数が終わるまで1つづつ繰り返す。最終的に、この数がすべて達成 されなかった場合、そもそも目標の全シーケンス数は決まっているので、ステッ プ1に戻り次のシーケンスの特徴を決定するようにプログラムされている。この 手続きは、最初に入力されたデータできまっている全てのシーケンスが達成さ れるまで続き、プログラムを終了します。

 クセナキスは他にも2つの特徴的な数学の分野を用いることで音のイベントを 記述しようと試みました:(a)集合論、例えばブール代数や論理代数と(b)ベ クトル解析 です。ベクトル解析が用いられているのは、マグニチュードと空間 における方向が扱え、単に概念的な方向を持つ線分として考えることができる からです。いっぽう集合論は、時間外構造(例:ピッチ)のコンポーネント 間のやりとりや、時間上の構造をもつ、確率論的にとらえることのできる事象 の瞬間などを簡単に表現することができます。

 最後に、クセナキスは時間外構造である「ふるいの理論」と呼ばれる理論も 発展させました。これにより、第一に、いかなる系(例:音階や音列)も論理 関数によって数学的に表すことができるようになります。 初等の置換を導入す ることでふるいを作り、連続体の特定の要素ーこの場合ピッチーのみがふるい をすり抜けるのです。このテクニックは「完全なる秩序」をもたらすだけでな く、完全に機械化することができ、将来コンピュータや現代科学技術のたすけ をかりることで幅広い探求を可能にするものです。

***

MZ (Michael Zaplitny): あなたの著書 Formalized Musicの書評で、ある批評家はこう書いています。「この本にでてくる数 学はほとんど無用の長物である。」と。これについてどう思われますか?

IX (Iannis Xenakis):どういう意味で彼がそう言ったのかは分かりません。解 釈はいろいろとできるでしょうが、たとえばその作家が数学にくわしくてその 説明が不要だとかんがえたとか、あるいはそれは明らかに必要なかった…音楽 自体には関係がない、とか。

MZ: 彼はこうもいっています。「音楽を創造するのに確率理論を効果的に活用 できることは、証明された事実だ。しかし、そのような方法で作曲されていな い音楽は非時間的な組み合わせ論的内容をもつにすぎないと正しく理解す ることができる、ということはそれほど明らかではない。」

IX: なるほど。彼は私が「非時間」という言葉で言わんとした「時間外構造」 を理解していないのではないかと思います。例えば、ピアノの白鍵には音程と いう構造があるけれど、これは時間外構造です。もちろんいい音楽も悪い音楽 も(それで)作られているわけですが、興味深いことに白鍵構造は、メロディー や調性や旋法音楽や12音音楽などとは独立しています。これは非常に重要なこ とで、彼がこのことを理解していたとは思えません。

MZ: Xenakis: The Man and His Music という Mario Bois の著書で、 あなたの言葉が引用されています。「私は古代建築については詳しく知ってい たが、ル・コルビジェは新しい種類の建築に私の目を見開かせてくれた…これ は最も重要な神のお告げだった。計算に明けくれて退屈な日々をおくるかわり に、音楽と共通の興味深い意味を発見したのだ。(結局それが、他のすべてを 差しおいて、私の究極の目的になった。)」ここであなたが発見した、音楽と 共通の要素を持つという新しい種類の建築というのが何を意味するのか説明し てもらえますか?

IX: 翻訳が間違っていたんだと思いますが、言いたかっ たのはこういうことです。近代建築において、素材にはコンクリートやガラス、 鉄といったものがあり、それに対して19世紀の建築にはレンガや石材、木材と いったものが使われていました。次いで重要な近代建築の革新には、平面や直 線、直角といった幾何学的要素の簡略化があります。単純なデザインへ無関心 であることを埋め合わせるために、20世紀の初頭には立方体の建築が導入され ました。次に新たなプロポーションが導入されました - プロポーションの遊び - 光の活用、特に光の遊び、光の仕様、光の種類といったもの。第三の問題は、 建築構造の機能、つまりその使用という問題です。あなたが家を持っていると すると、ル・コルビジェがかつてmachine habitéeと呼んだよ うに、その家は住むための機械でなくてはならない。つまり、あなたはその家 を標準化してやる必要があるのです。例えばキッチンから何歩で届くようにす るか、という具合に。

MZ: つまり機能的でなくてはならないと。

IX: その通り。あなたが時間を浪費しなくていいように。これは有機的な存在 です。次に、マクロな視点から建築物をかたちづくるということです。ある作 曲上の問題に突き当たったのですが、そのとき私はありとあらゆるマクロな構 造、つまり、音自体や音素材の生み出すメロディーのパターンについて考えて いました。これらのマイクロストラクチャーの構造、すなわち、より大きなス ケールにおける作曲自体、その利用と必要性といったもの、これらの問題が私 の頭を悩ませていたのです。そういうわけで、ル・コルビジェが平行して探求 していたということは私にとって非常に勉強になりました。

MZ: もう一歩踏み込んで、あなたが建築からまなび(音楽に)応用できる何か特 定の例をあげることはできあますか?それともそれらはもっと一般的で基本的 な概念なのですか?

IX: いいえ、むしろこれは平行することです。もうひとつ面白いのは、その反 対もあてはまるということ。つまり、音楽の問題から建築をデザインすること もできるということです。

MZ: それはあなたの著書の第一章にも明らかでした。

IX: そう。でも、建築を直接音楽へ応用するには、考えなくてはならないこと がひとつならずあります。ご存知のように、音楽家は学校で、セルから始める ように学びます。つまり、旋律パターンやテーマなど、基本は旋律的テーマか らね。ポリフォニー音楽やセリー音楽はすべて、音符の積み重ねで成りたって います。次にその逆行や対位法的、和声的、管弦楽法的な操作によって拡大し ていく。今日、これはディテールからより大枠へと向かっているでしょう。建 築においては、まず最初に大枠を考えなくてはダメで、その後初めてディテー ルに向かうことができます。あるいは両方向に同時に。しかし、それに加えて、 土地のことやすべての距離、すべての面積についても考えなくてはなりません。

MZ: ディテールに取り組んでいるときに、最終結果に対する見通しを持っていなく てはならないということですね。

IX: その通り。おそらくそれが、建築が私に与えてくれたもののなかで、最も 重要な例だといえるでしょう。つまり、音楽をいかに考えるか、ディテールか ら一般へ向かうのではなく、その逆で一般的なことがらつまり建築的な事項か ら、ディテールへ向かうということ。

MZ: あなたはこうも言いましたね。「わたしがやろうとしているのは…ものご とについて感じ、考え、そして表現する、ということ。それが全てなのだ。」 あなたはなぜ数学というアプローチを取ったのですか?別の言葉で言い換えれば 、ものごとを感じ、表現しようとするということであるのなら、あなたは数学 というものを感じることが出来るのでしょうか?

IX: 数学を感じるというのは可能だと思います。単純な例として、比率の問題 について考えてみましょう。時間が二つあるとします、長い時間と短い時間。 そして長い時間が短い時間の二倍になるように釣り合いをとるとします。この 比率は感じることができるものであるはずです。音楽にせよ、建築にせよ、アー トにせよ、比率を使い操るところでは、それを感じないわけにはいかないでしょ う。それを想像することはできません。同じことはより大きな、複雑な理論に ついても当てはまります。もちろん感じたいと思わないこともあるだろうけど。 例えば、二階微分方程式の解放のように。

MZ: 同著(Formalized Music)の少し先のところで、音楽における感性につい ても触れています。「感性というものはもはや、それ自身を表現するというも のではなくなっている。それは他の手段によって表現され、またそれ自身を表 現するがゆえ感じ取られるのである。さらに伝統的な表現手法は急速に変化す る。ファッションがそうであるように。わたしにとって、音楽自身についてよ り重要であると思われることは、あくまで私自身はということだが、その抽象 性であり、組み合わせ論的側面である。比率という意味において。」あなたは 感情を抜きにして、作曲というものを考えることができるのですか?

IX: もちろん。芸術家が作業するとき、感性でもって作曲していると考えてい るかもしれないけれど、それはアイデアや他の何ものかに惹きつけられている からです。それはときにはスタート地点となるかもしれないけど、作業を進め るにつれ、それらは「住み」はじめ、ついには終止それと格闘し、それを変化 させ、またそれによって影響を受け、スタート地点の感性は遠く離れたものに なってゆくのです。最後に残るものは、より抽象化した形で表現することが可 能です。なぜならば、それがこの考え(前パラグラフのクセナキスの言葉の引 用を指す)の結果なのだから。たとえすぐには抽象化に気がつかなくても - 例 えばルネッサンス絵画や、人類が作りえた最高の絵画を見るとき、比率関係や 色彩、形とその相関関係などを抽出するまえに理解に努めるでしょう。結局、 それは比率の音楽なのです。そうして、時間が経過することで理解に至ります。 なぜならそのとき即座に受けた感性を失うからです。こういうわけで、我々は、 遠く離れた、何千年も昔の日本や中国の絵画や、ギリシア、エジプト、アフリ カのそれの良さを理解することができます。つまり、あとあと残るのは、もの それ自体の即時的な奇跡より、抽象的な考えなのです。これが私が言わんとし たことです。

MZ: その先のところで、コンピュータを使うことについて語っている最中に、 あなたはこう言っています。「この機械のことばは普遍的ではあるが、音楽家 が普通身に付けていない知識を要することは認める。」この音楽の数学的性質 が音楽家たちを脅かし、近づくことをことさら難しくしたというのですから、 我々はその知識をいかにして手に入れれば良いのでしょうか?

IX: トレーニングすること、あらゆるものごとを学ぶようにそれを学ぶことが 必要だ。今日音楽家が訓練することの中には、ほとんど役に立たないものがた くさんあり、驚くべきことにそれらの多くはいまだに過去の伝統に由っている。 もっと重要なものと入れ替えられなくてはならないよ。

MZ: 入れ替えられるべきものの例をあげてもらえますか?

IX: 例えば、精度の高い初見歌唱ができることを音楽家に求めるのは全くやり すぎだと思う。というのも、それができるようになるまでにとても時間を要す るし、(それができるようになったら)自分が音楽的にひずんでしまったと思う だろう。というのも、平均律のスケールだけを学習したとすれば、4分音や3分 音などを聴くことができないだろうから。

MZ: 言い換えると、あなたがおっしゃるのは、我々は不自然なことをするよう みずからを強要しているということですね。

IX: 不自然なだけでなく、それは可能性の一つ過ぎず、非常に限定的なことだ よ。より多くの可能性を手に入れたいのなら、一つ一つにしつこく構っている わけにはいかない。専門化するよりも、これらについて幅広い知識を身につけ ることのほうがよほど大切だ。なぜかって、自然な姿を失うから。それでなく てもそれらの多くは学ぶ必要のないことだし…思い出してみると、私が音楽を 学んでいたとき、授業では18世紀の和声学や対位法のありとあらゆる練習問題 をやらされたけれど、それは音楽家によってではなく、音楽学者によって体系 化されたものだった。まったく意味のないことだよ…音楽自体を学んだり、即 興演奏したり自由に作曲したりする代わりに。人は今日の状況に対して盲目だ。 こんにちの環境はどうなっていると思う?科学、数学、そしてテクノロジー。 手を伸ばせば、それらに触れることができる。もしあなたがその使い方を知ら ないとしたら,あなたは手足のない人も同然だ。

MZ: コンサートのプログラムノートで、あなたはポワソンの法則やいくつかの 代数方程式を引用していますね。なぜそうしたのか理由を問われて、あなたは こう言っていました。「もし聴衆がそれらを全く理解しないのなら、なにより もまず彼が無知であることを知らせることは有意義である。それを知ろうとし ないというのは遅れている。」これはあまりに傲慢で自滅的な発言ではないで しょうか?あなたの音楽が理解され、受け入れられることをより妨げるのでは ないですか?また、それはあなたのものの見方、つまり聴衆のものの見方に因 るのではないでしょうか?言い換えると、文化的、社会的、知的環境といった バックグラウンドが非常に重要になっくる。限られたバックグラウンドしか持 たない聴衆にそれが受け入れられることを期待することはできません。

IX: 確かにそうだね。でも例えばこんにち、高校で確率論を教えるようになっ てきている。2、3年もすればこれが一般的になることは間違いないだろう。私 が言ったことが傲慢なのではなく、おそらく私の言い方が露骨に過ぎたんだろ う。しかし、それらを無視する何ものかの背後に存在する理由は知っておくほ うがよいだろう。私は、自分の無知を学習によって取り除きたい、あるいは無 知を想定し、そんなものは気にしないと言い放つかのどちらかだ。責任をあな たにゆだねるよ。20年前まだ私が勉強しながら、自分の音楽に必要なツールを 探していたとき、専門的であるがゆえ確率論を学ぶことは非常に困難だった。 しかし、非常に急速に、特に情報理論、サイバネティクス、新しいテクノロ ジー、確率の様々な分野での利用などとともに、確率論に関する知識は広まっ た。こんにち確率論は広く大学で教えられており非常に結構なことだけれど、 高校ではまだまだだ。でもやがて高校でも教えられるようになるだろうけど。

MZ: 確率論がなぜ単なるコイン投げよりも本格的なのか、もう少し詳しく教 えてくれますか?

IX: コイン投げは機械のようなもの、自然の機械だ。もちろんそれが働くとき はということだが。しかし、確率論はあらゆる種類の機械、多少なりとも抽 象的で、偶然の土台を形成するすることのできる機械を扱う。

MZ: コイン投げは確率論の一部分に過ぎず、あなたがむしろ関わっているのは、 コイン投げがもたらすより広範囲は問題群である、ということではないでしょうか?

IX: そう、私が言いたかったことはそういうことだ。コイン投げは一つの細部、 重要かもしれないが、細部の一つに過ぎない。

MZ: "ataxy の度合い"と"エントロピー"という語は交換可能なのでしょうか? それとも明確な区別があるのすか?

IX: いいえ、ataxy が表すのは、秩序の度合い、秩序性、あるいは無秩序とい うことです。エントロピーはataxy の率をはかります。それらは互いにリンク していますが、同じではありません。つまり、ataxy ー 何かが適切でない、無 秩序にあるという意味で ー が増加すると、エントロピーも増大する。こう いうわけでリンクし、時に混乱を招くのです。

(pp.94)

MZ: フーリエ合成について、その理論の失敗と、次第にコンピュータとDAコン バータが自由に使えるようになったことを簡単に説明して、あなたが「本当に あるべき場所と呼ぶものを定義して下さいますか?

IX: フーリエ合成は、私たちの耳に到達し、普段音として聴いている音圧のカー ブを表そうとするものです。ただし音の振動が極端に低いか密である場合は除 きます。フーリエ級数を使うことで、そういった耳に到達する音や音圧のカー ブや振動を、コサインやサインといった三角関数で表すことの出来る単純な周 期波に分析します。このプロセスは、三角関数で表される波形や音圧の変化お いったスムーズな波だけでなく、インパルス波の場合にも一般化されました。 その場合は、各インパルスは三角関数であるフーリエ級数に拡張されます。し かし、コンピュータを用いたとしても、これらの波を最表現したり合成したり することは困難なのです。なぜならば、なによりもまずフーリエ級数は理論で あり、莫大なコンピュータの処理時間を要するからです。単純なノイズ音はこ んにちほとんどの楽器やエレクトロアコースティック・ミュージックにみられ ますが、これをフーリエ解析することはさらに難しくなります。この困難から 逃れる最も良い方法は、おそらく別の方法をとることでしょう。 Formalized Music で私が提案した方法は、自分ではオリジナルな方法 だと思っていますが、もちろんその方法を解き、証明し、実際に扱ってみなく てはなりません。既存の方法ではなく、音楽の概念への新しいアプローチを提 案するものに過ぎません。こう考えてみましょう。フーリエ解析では複雑な事 象を周期波のような単純な要素の足し算で表現したり生成しようとします。私 の提案では、まず非常に複雑なパターン(例えばブラウン運動のような)から 始めて、それを単純化してきます。

MZ: 作曲上の姿勢を表す「ベクトル・マトリクス」、つまり高次の秩序の統一 を(その性質を持つ)確率論的振る舞いによって定義される音のスキームが、 今日セリー音楽が陥りがちな極端に構造化されたものになるというリスクを犯 すのは構わないのでしょうか?

IZ: それは違います。もしあなたが確率関数・分布・法則、つまり確率論的ア プローチを取るならば、毎回予期せぬ結果を得ることになりますが、それは細 部に限られた話です。大きなスケールで見れば、形の独自性、つまり可能な、 共通の作品群のようなものを作ることが出来ます。例えば、ある形の同一性を、 入力データを持つ問題に変換して計算することができます。これにより、出力 を変化させることが出来ますが、プログラムは同じ、つまり骨組みは同じまま だということです。

(pp.95)

MZ: あなたはいくつかの作品で ST プログラムを使用していますが、それはあ なたを制限しはしないのでしょうか?つまり、セットアップできるようなプロ グラムには際限がなく、各プログラムは膨大な可能性をもたらすので、結果と して可能性に終わりがないと。

IX: 後者の質問はその通りですね。

MZ: このアプローチの方が、例えばセリー主義に訴えるよりも、可能性が広が るとお考えですか?ともかく、我々は12音音楽からセリー主義へと、遥か遠く まできてしまいました。数年でなかり進歩しました。

IX: もしセリー主義が確率論を使うとなれば、私が20年前にセリー主義に対し てとった地点に到達したでしょう。またセリー主義者が他のドメイン、特に偶 然性のドメインを使用するならば、彼らはオーソドックスなセリー主義の流れ からは外れるでしょう。

MZ: 構造の考え方について考えてみたのですが。いったんプログラムをセット アップすると、そのプログラムを変更できるのか、あるいはプログラム全体を 変更することになるのでしょうか?人が望むのは自由であって制約ではないと 思うのですが、本当にできるのでしょうか?

IX: もちろん可能です。何か本当に面白いことをするのは難しいでしょうが。 より難しくかつ重要なことは、ある音楽の系を制作することであって、独立した 面白い曲を作ることではありません。新しいフォームを発明するようなもので す、新しいフーガのような。あたなの自由はフーガのマクロフォームによって のみ制限されるでしょう。

MZ: もう一つかんがえることがあります。音楽の可能性が予測可能になるとい う問題です。これは起こるのでしょうか?そして回避しようと戦わなくてはなら ないのでしょうか?

IX: まず言っておかなくてはならないのは、予測可能性というのは相対的であ るということです。知らない音楽を聴くとき、全て同じように聞こえます。そ れゆえ、何が起こるか予想することができます。しかし実際は、予想はしてい ません。(何が起こるのかというのは)はっきりしたことではないからです。 何度も聴くうちに、その曲がよくわかるようになります。そこで(はじめて) 気がつくこと、予期しないことを吸収することができるのです。局所的には、 以前みたことのないディテールを考えると、作品というのは予測不能でありう るものです。我々は予測可能性というものが、音楽の質を非難すると言えるで しょうか?私はそのような示唆は全くまちがっていると思います。そうだとす れば、いかなる音楽もただのホワイトノイズには勝てないということになりま す。

MZ: あなたがおっしゃるように、作品を何度も聴くことで理解が深まるのだと すれば、(ある作品を)聴けば聴くほど、それを既に聴き知っているのですか ら、より予測不能になるのではないでしょうか?

IX: もちろんそうです。音楽の面白さというのは予測不能性とつながっている わけではありません。そう考えるのは、ウィーン音派やその傾向の絶対的変奏 からくる間違った仮定です。12音音楽からスタートすると、今日のセリー主義 のスタンダードからしても、有限の話なのです。従って、予測不可能性という のは非常に相対的なものであり、またこじつけの詭弁なのです。

MZ: ふるいの理論を手短かにまとめて、セリー主義を、時間外カテゴリーの特 定可能な例として、ふるいの理論を通すことでよりよく理解できるかどうか詳 しく説明してくれますか?別の言い方をするなら、音符をセリーな組み合わせ をメジャー・マイナースケールとして使うことはできるのでしょうか?

IX: セリー音楽は典型的な時間内構造です。12音(音楽の)スケールにおける 音の関係は最もシンプルな時間外構造のうちの一つですが、それは12音を形成 するのに全く同じ半音程を繰り返すからです。いわゆる時間外構造にある音符 を取り出して、ふくろのなかにいれたり、ある順番で取り出すと、あなたは時 間の上に並べているのです。従って、あらゆるセリーの音の連なりは、時間の 上にあるものであって、時間外のものではありません。これはとても重要なこ とです。また、これは、全てのスケール、例えば白鍵を使う場合に伝統的な調 性音楽の豊かさをうしないそれと引き換えに時間内構造における12音の操作を 手にしましたが、一方調性音楽は、その構造がより時間外にあるために豊かな のです。白鍵を、メジャースケールを例にとると、そこには差異があります。 これはつまり、いつも同じ繰り返しである12音音列よりも複雑であるというこ とです。どちらのケースもメロディのパターンは全く同じように動作します。 ちがうのは、セリー音楽の場合、12音すべてをとるのに対し、調性音楽の場合、 洗濯するのであって7音すべてを選ぶ必要はありません。

MZ: つまり、メジャー・マイナーシステムの方が可能性が大きいというわけで すか?

(pp.97)

IX: 時間外構造においてはそうです。だからセリー音楽はあらゆる和声的操作 によって、これは調性音楽がその和声的なものによって豊かになったがゆえひ つようとしなかったことですが、埋め合わせしたのです。

MZ: ふるいの理論について詳しく説明してもらえますか?

IX: まず、ふるいの理論を適用できるのはピッチだけでなくて、他のあらゆる 構造、例えば時間、強度、秩序と無秩序の度合い、密度、その他の音の特徴な どです。ふるいの理論の構造というものは、単なる公理系、感覚、詳しくは Formalized Music にある脚注14で説明しています。これにより、単純 なふるいの感覚からはじまるフォーマルな構築、それは平均律スケールの半音 階と同様のものである。無限に繰り返す要素があり、従って自分の集合を完全 に制御できる範囲を作るとこが出来る。次のステップは、テンンを選択すると いう問題で。直線には点の連続がありますが、ふるいにはそれがありません。 反対側つまり不連続から始めるのです。連続性を生み出すことができるのは、 まずはじめに自然数にあたり、次に有理数、そして最後に無理数を扱うことが 出来るからです。この方法によって、感覚から連続性に到達するまでの間、全 ての数論の再構成が得られるのです。比較すると、これはまさにメジャースケー ルや白鍵のスケールにおいて起こることおよびたの多少複雑なスケールなので す。この秩序化された集合は、初等の置き換えに依存していますが、(その順 序化された集合は)4分音でもよければ、コンマやなんでも望むものを指定でき るのです。このプロセスによって順序集合を構造化する非常に一般化した方法 を表しているのです。例えば、時間というものも、それが順序集合であるがゆ えに、この方法でデザインすることができます。

MZ: 言い換えると、あなたは自身の構造を、作業をはじめる raw material と して定義しようとしているのですか?また、完全順序集合とはどういう意味で しょう?

IX: その意味は、一集合に三つの要素があたえられたとき、そのうちの一つを 残りの二つの間に配置することが出来るということです。これが最もよい定義 でしょう。ある集合のすべての要素に対してこれが行えれば、それは準樹集合 であると言えま。他の要素でいっぱいの部屋に、すべての要素をアレンジする ことができるがゆえ、それは完全な構造を有します。(ある)集合が、ピッチ において高いだとか、時間上遅いということができますし、あるいは形容詞を 使って、大きい、広い、小さいなどと言うことも出来ます。そのような集合を あつかうとき、なんらかの構造化を行わなくてはなりません。さもないと、セ リー主義者と同様、制限されてしまいます。なぜなら、彼らは唯一の集合であ るセリー構造自体を持つだけ、つまり半音階構造を持つだけだからです。

(pp.98)

MZ: しかし、セリー主義はたんい音を並べるのを超越しました。中には組み合 わせ論的アプローチをとる作曲家もおり、そのアプローチには12音の並びの中 に内部構造が存在します。

IX: この組み合わせの要素の場合は、時間内であって、構造そのものの中では ありません。それは12音すべてを使っていますから。

MZ: そしてあなたはある特定の時間外構造について言っているのですね?

IX: そうです。あるふるいを選ぶ、つまり特定のピッチ、音を選ぶとすると、 そのふるいはスケールのようにふるまい、このスケールから音を選びます。従っ て、あなたが選ぶ音はすべて、原典となったふるいにしたがい、互いにかんけ いしあっているのです。そうして、それらの音のありとあらゆる組み合わせを、 時間内で、考えることが出来るのです。

MZ: そして、それを他の独自の構造をもつものと(組み) 合わせて行うことも 出来ると。

IX: その通りです。それらすべてのやりとりをさせることができます。そして、 無限におちいるのです。つまり、数を数えられるか、あるいはすべての自然数 でもってcorrespondenceにおくのか。例えば、有理数の集合は可算です。なぜ ならば、自然数を使って一対一で対応させることができ、それらを分類可能だ からです。無理数ではこうはいきません。

MZ: ピエール・ブーレーズは、"Boulez on Music Today" という彼の本の中で、 分配/配置のインデックス、「空間」のインデックスについて議論し、それをトー タル・セリエリズムによって完全に探求できる音の側面であると位置づけてい ます。あなたがたは同じことについて言っているのではないのですか?つまり、 空間について、別の言葉で言えば、(よめない)空間の実現について言ってい ます。また、将来的に、現実的に言って、セリー主義者がーミルトン・バビッ トの完全組み合わせ集合アプローチを含めてー、その基礎を拡大するために確 率に出会い、oncvergeする余地はないのでしょうか?

IX: まず、セリー主義者は集合の時間外構造を扱うことはまったくありません。 私の考えではそれは失敗で、一つの集合だけ使えるがゆえ、構造を自由に選べ る集合よりもまずしいのです。第二に、その(ブーレーズの)本は読んでいま せんが、この解釈が正ならば、一つの空間には3つの次元、ピッチ、時間、強度ー あなたが提案したことは正しくなります。私も3次元空間のアプローチを使った ことがありますが、それは考え方の一つに過ぎず、唯一のものではありません。

(pp.99)

MZ: またあなたはそれを狭い考えだと思っている。

IX: その通り。もっともそれはそれでみのりある方法かもしれないけれど、や はり一つの方法に過ぎないでしょう。例えば、次の事実、音はピッチ、強度、 長さからなる、を否定することができます。音の中には、ピッチがないか、あ るいはピッチが無数にありその中に埋もれてしまうだとか、強度がないか、あ るいはそれがあまりに変動しているがために適当に指し示すことができない、 とか。これはフーリエ分析と関係があるに違いありません。ブーレーズが音楽 的空間は3次元であると言ったのはおそらくこのためでしょう。しかし、これが 最も初歩的な空間へのアプローチではありますが、中心的問題ではありません。 他の問題で、中部構造やその性質についての問題があります。いくつかの性質 は、トポロジーを使ったアプローチによってふるいにかけることができるでしょ う。トポロジーとは、もはや空間ではなく、連続と非連続の性質(特徴)であ り、接続性であります。組み合わせ論的セリー主義に関してあなたがおっしゃっ たことについて言うと、組み合わせ問題を小さな量ついて扱う分にはそれでゲー ムをすることが出来ると思いますが、組み合わせる数が多い場合は、注意や許 容範囲を超えることになる。大きな組み合わせ数を使えるのは、統計的に扱う 場合、つまり確率を導入するときです。確率論は組み合わせや分析に基づいて いますが、ただより大きい(扱う組み合わせの数が)というだけです。組み合 わせ分析は、確率論のツールの一つです。しかし、同時に決定論の問題、非規 則性や同期性の問題についても扱わなくてはなりません。

MZ: あなたの本で、あなたは基本的目的を次のように語っています。「最大限 の非対称を獲得し(語源的意味において)、最小限の制約、因果関係とルールを 手に入れることだ。」これは今日でも正しいのでしょうか?また、(今日)ど のような手段あるいは分野において、このアイデアを発展させたのですか?

IX:違います。これはいくつかの章に関してだけです。例えば、シンボリック ミュージックという集合や集合の組み合わせなどの使用を扱う音についての章 では、これはもう明確に非対称といったものはそれほど見られません。それは おいておいて、シンメトリーというのはその語自体で定義されたものではあり ません。完全に非対称とは組織化の問題であり、それに対するありうべき解答 は、ある程度は無限非対称あであり、それを手に入れるには確率論を使うこと です。しかしながら、それほど無関係ではないパートでやらなくてはならない ことはたくさんありますーそのパートは多少とも整理されており、リニューア ルや周期性といったものを利用しています。つまり、同じオペレーションを繰 り返します。

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できることはたくさんあり、私の本の中でいくつかその手法について検討して います。例えば、Nomos Alpha や Nomos gamma ーそれぞれチェロと大オーケス トラのためのーに使ったグループセオリーは、反復にもとづいてはいるものの、 異なる種類の反復に対峙することから差異がもたらされます。

MZ: 最近出版されたもしくは作曲された作品のなかで、特に良くできたと思う ものあるいは当たらしテリトリーを探求したというものはありますか?  Formalized Music が書かれて以降、今日および未来のどこに可能性があるのか ということを知りたいのです。このマテリアルをどこへもってゆけるのでしょ うか?

IX: 本質的には2つの方向があります。1つ目は、器楽曲にといて、ある種のメ ロディーパターンの一般化や可能な操作を考慮にいれることによって、メロディ パターンのブッシュや亜喬木はオブジェクトとして考えることができ、それを 論理や時間内・外でも扱うことが出来ます。その際、それ自体をオブジェクト として拡張したり動かしたり転回させるのです。これにより新種の一般化が生 み出されます。セリー音楽でも調性音楽でも一般化可能だからですが、重要な のは転回が連続的であるがゆえ、単一のメロディーラインができるのではなく、 何かもっと複雑なものができるのです。

MZ: それは連続性における形として説明できますか?

IX: はい、変化させられる形として。それをコンスタントに変化させるには、 まずそれ(form)を定義しなくてはなりません。なぜならその変化はすでに時 間内で起こるからです。つまり、まずブッシュのようなものを何か提案しなく てはならなくて、そうしてこれらの変形でそれの形を変えることができるので す。私もやったことがありますが、複素数を使うことでより複雑な変形を達成 することもできます。そうですね、これがメインの方向性で、それを代表する 作品がいくつかあります。

MZ: どの作品ですか?

IX: 亜喬木を使った、つまり木のような形をした最初の作品は、Alice Tully Hall(ロックフェラーセンター)で演奏された Evryali です。ピアノとオーケス トラのための Erikhthon や Solti が指揮した大オーケストラのための Noomena という作品もあります。最後に、オルガン曲 Gmeeoorh というコネチ カット州ハートフォードのオルガンフェスティバルに委嘱された曲があります。

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他に考えられる方向性としては、音楽を形づくるのに、大きなスケールで構造 化するのに位相的アプローチを取ることですね。本質的にこのアプローチは器 楽曲向けです。というのも、扱いやすくて経済的だからです。コンピュータを 使わなくてはならない場合、非常に手間がかかり、困難かつ時間がかかります。 コンピュータを扱うのは第三の方向です。私のコンピュータを用いた取り組み は(私の本の最後の章をここで続けるならば)確率を用いた音のマイクロシン セシスの提案であり、それは従来のD/Aコンバータを用いた音の生成とは反対の 方向です。この私の本の最後の章に対する批判が、PERSPECTIVESに出ていまし たが、その批判のエッセンスはと言うと、ある大学で私の言った通りの方法で 音を生成し、その音のエナジースペクトルを分析したところ、そのエナジーは ホワイトノイズのそれと同じであることが判明したというのですが、もちろん それで正しいのです。しかし、ポイントとなるのは、異なる確率分布を使って 異なるホワイトノイズを作ると、それらは互いに違ったホワイトノイズになる のです。したがって、音楽も色とりどりの音色があるのではなく、ノイズのよ うな音になりますーこれが私が提案しているzero degreeアプローチであり、つ まりいくつもの複雑な数式操作を用いるというものです。この場合においても、 得られるノイズは確率分布からその特徴(パーソナリティー)を継承する形で あわせられ、その意味でとても興味日かい実験なのです。

MZ: これらの理論は一つ以上のメディアに適用できますか?

IX: もちろん可能です。例えば、一年前パリのClunny Museumでレーザービーム とフラッシュライトー600のフラッシュライトと3つのレーザービームを用いた スペクタクルをやったのですが、それらはすべて個別の設定をもち、ミラーに よって仕切られ、各フラッシュは互いに独立し、個別に操作されましたが、こ れはすべて光のスコアによってい決定されました。この光のスコアのプログラ ムは2進のコマンドあるいは命令のテープ上につくられ、テープドライブが読み 取ることでコマンドがすべてのもの(ビームやフラッシュ)へ送られました。 従って、これは完全に自動化されたスペクタクルであり、この空間上の音もし かりである。12のスピーカーと8トラックのテープレコーダーが用いられ、作品 は24分に及びました。将来それは移動可能で、つまりclunyでのものよりも複雑 になるでしょう。レーザー、フラッシュライト、音、を使って、そしてフラン ス国内および海外ーアメリカでも要望があれば再現されるでしょう。

1975年5月
パリ、フランス


久保マサキ (masaki at alum dot dartmouth dot org)